投稿者「minsan」のアーカイブ

俺の焼肉 監修 美味しいキムチと牛カルビ丼 ラスト登場

2015.11.9

俺の焼肉監修美味しいキムチと牛カルビ丼が、orenoyakiniku など、各地で旋風を巻き起こしている 『 俺の 』 シリーズとして、ヨシケイグループでラスト登場を果たしました。

ヨシケイグループ、66FC、280営業拠点、4000台の宅配ネットワークで50万世帯の顧客にカタログ掲載されました。

2013年12月より、俺の株式会社の協力のもと、俺の焼肉監修の、手造り、無添加の 『 自然が美味しいキムチ 』 を発売。スーパーマーケットなどで販売しておりましたが、2015年11月27日をもって終売になり、その最後の企画として、俺の焼肉監修美味しいキムチと牛カルビ丼が、ヨシケイグループで大反響を呼びました。

これに係る関係者の皆様及び、お客様に深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。

 

 

ヨシケイカタログ 俺の牛カルビ丼・キムチ_01

 

ザ・ラストクイーン オペラ鑑賞

2015.11.7

9/27 ザ・ラストクイーン オペラ鑑賞

新国立劇場

日韓を 『 和 』 で結んだ深い愛の物語を、創作オペラ化した朝鮮王朝最後の皇太子 李 垠(り・ぎん) 妃 李 方子(り・まさこ)(梨本宮 方子 1901年~1989年)女史の生涯を通し、前後70年、日韓国交正常化50周年の歩みを、芸術的側面で鑑賞、平和への心を深めた。

戦前、韓国合併に伴う政略結婚で、日本の皇族から朝鮮王朝最後の皇太子に嫁いだ、故李方子女史の生涯を描いた創作オペラを、感無量の想いで、歴史の流れに今の平和、少々の問題はあるにせよ、過去よりは明るい日韓関係にホッとしつつ・・・未来への平和的進化を願いつつ・・・鑑賞した。

ほんの短い時間で、世界の帝国主義の流れ、韓国合併、世界大戦、関東大震災、敗戦、解放をモチーフの映像で見せ、歌われ・・・李女史は、夫の死後も韓国に残り、日韓両国のために尽くそうと、恵まれない子供達のための福祉活動に身を捧げる。そして、ついには、 『 韓国の母 』 とまで呼ばれるようになられる。

朝鮮王朝最後の皇太子妃、ラストクイーン、李方子女史は、87歳で死去、韓国民の涙で見送られ、その葬列は数キロにも及んで・・・。今も、韓国民に慕われている美しく悲しみを超越した創作オペラだった。

この作品は、日本と韓国の政治的狭間におかれながらも、 『 和 』 を求め一生を捧げた、李 方子妃をモデルとした世界初演のオペラで、李 方子妃を演じるのは、在日二世のソプラノ歌手、田 月仙さん。

田 月仙(チョン・ウォルソン)さんは、日韓国交正常化50周年を迎える記念として、構成から10年以上かけ、魂を込め、 『 和 』 を願う思いから創作した意義深いオペラだった。

この日、皇族の高円宮妃 久子殿下も、ご鑑賞なさったとの放送で、席は私の近くであると知り嬉しくなった。それが、退場の折、善き足の運びで、握手をかわす場となり、素晴らしかったですねと声をかけたところ、善き出来栄えでしたと、美しい微笑みでご応答下さり、より意義深さが増した。

その場を、同行した日韓関係ジャーナリストの記者が偶然にも写真に収め、送って下さり、この日の記念として、忘れられぬ戦後70周年、日韓国交正常化50年の印の1つとなった。

それは、2009年から京都賞授賞式(第25回から)に、毎年参加し、稲盛財団名誉総裁でいらっしゃる高円宮妃殿下のご挨拶を聞き、式の厳粛さ、かつ華やかさが内外に広がるのを感じ、皇室の特異の高貴さに触れた事と重なり、このオペラの重みも増して、平和への想いを培う日となった。

そして、過去の積み重ねにある今日の平和の日々と、与えられる全てに、感謝を捧げ、平和を願う心を強く感じる日となった。

俺の焼肉監修キムチ終売に伴い『 俺のキムチ 』 新発売!

2015.10.20

『 俺のキムチ 』 新発売!

2013年12月より、俺の株式会社協力のもと、俺の焼肉監修キムチを、日本に限らず、話題の旋風を巻き起こしている俺のイタリアン、俺のフレンチシリーズの1つとして発売、販売しておりましたが、俺の株式会社の本業に集中する方針に伴い、他社への屋号使用解除によって、 『 俺のキムチ 』 新発売の運びに至りました。

どうか、これからもお引立て賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

『 記 』

1、俺の焼肉監修キムチ  終売日    2015年11月27日

2、俺のキムチ      新発売日     2015年11月21日より

 

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お問い合わせ:専務取締役 閔(ミン) 鉉基
TEL 0479-79-1574
minsan@peach.ocn.ne.jp

8/19~9/23 動向

2015.9.30

9/23  人口減少に伴う人材確保をいかにするか

これからの人口減少に伴う人材確保をいかにするかについて、取引先の農業法人と不動産業を営む友人を、豊洲のやきとり宮川店で引き合わせ、同店の社長を交え、4業種5人で意見交換し合った。

これからの人口動向の変化に伴う、対策のアイディアを、日本語学校設立で、アジアより学生を誘致、空洞化されていく空家活用で活性化を計る構想を思うままに出し合い、よい刺激で皆さま、微笑みをこぼし喜んで下さった。

そして、アジアレベルで若い人々に人間性を高める機会を作り、幸せへ導く事として、私達の企業が働く場を提供、環境整備の機術で、始めは清掃から、前面の変化と気づきを学ばせ、より豊かな人間成長への道程を話し合って大いに盛り上がった。また、次回を楽しみにした。

 

9/22  サクライズ ウェブ出展にあたり

サクライズ ウェブへ当社商品6品目出展に伴い、本日の事業発表会に参加。

当社の6品目の商品を発表者の方が、スライドに乗せ見せるのを見て、嬉しく驚いた。
これからの新しい流通形態を革命し、形成していく模様が、新鮮だった。

戦後70年間で最先端技術へ進化発展しつつある、ウェブ上の世界に触れ大いに勉強になった。 これからの発展が楽しみになってきた。

 

9/18  『 ゲーテとの対話 』 朗読会

早朝 『 ゲーテとの対話 』 朗読会 本社にて2人で。

今、私達に課せられた諸問題を、ゲーテの思想に照らし合わせ、解くものとして参考にし、喜びが増していく朗読会の日となった。

 

9/17  パスポート(株) 見学  海外塾生歓迎会出席

午前から、昨日盛和塾世界大会経営体験発表で優秀賞を頂いたパスポート(株) 見学

『 良知経営 』 『 致良知 』 『 敬天愛人 』 思想で、会社を発展に導いた、社長様の深い思いに触れ、海外塾生のため受け入れて下さった、この日の学びとなった。それは、私の思想の不十分なものを引き捨て、新たな発想として、種を播くようなものとして十分過ぎる程のものだった。

そのご教示をまとめ、社内幹部と共有、これからの行動基準として、研究・実践を試みる運びとなった。

先人の 王陽明 の 陽明学 より 『 致良知 』 稲盛塾長の 『 敬天愛人 』の思想、哲学と宗教を調和させ、経営思想に現し、現場実践として、実績を作り上げ、人々を幸せへ導く経営能力には、驚きと、新鮮さを禁じ得ない学びとなった。

夜は、海外塾生歓迎会に出席、日本経営の会長様のご教示を聞き、学びと共に海外塾生と触れ合い、教養を高める日となった。

 

9/15、16  盛和塾 第23回 世界大会開催

世界82塾 塾生1万人へと迫る中、今回は4573名 海外より300名程、当社は3名参加し、学びを共有し合った。

今回は、これからの会社発展の運営に大いに役立て、日々、生かす記念すべき大会となった。やはり、同じ空気を共に吸い、言葉にならない莫大な学びを共有、分ち合い、『 問題を機会とチャンスに捉える 』、業務で推進できるまで至るのを感じ、嬉しい世界大会参加の年となった。

本大会のテーマ 『 心を高める 経営を伸ばす 』 『 今ここに生きる塾長の一言 』 に支えられ、大いなる希望と勇気を数千名の方々のエネルギーと共に、心を浄化、明日への動機の因を得るのを感じる日となった。

 

8/26  アメーバ経営について学ぶ

盛和塾 東京主催 KCCM 森田会長のアメーバ経営について学び、当社工場運営で、今まで気づかなかった後処理、備品、清掃の無駄を省き、再度マニュアル作成で使用手順の実践をすることとした。

 

8/22  ゲーテとの対話 朗読会  白鳥の湖鑑賞

早朝 当社本社にて、エッカーマン著 『 ゲーテとの対話 』 朗読会 3人で。

深奥な内容を通して、現実の人間関係の謎を解き、役立つ思想を得る日とした。

お昼より、松山バレエ団公演 白鳥の湖鑑賞、人間の体の動きについて焦点を合わせ楽しみ、参考にした。 芸術を通して、古代・現代・未来の人間像に思いを寄せた。

 

8/20  盛和塾 九州・沖縄地区 塾長例会 熊本参加

2人の塾生の発表、稲盛塾長のご教示を通し、『 人間として何が正しいか 』の生き方に再々度触れ、思いを新ため、深める日となった。

 

8/19  水素水セミナー 参加

水素水が人間の体に及ぶ影響について学び参考にした。

8/15  第70周年光復節記念式典に参加して

2015.8.28

日比谷公会堂

終戦70周年は、光復節70周年、大韓民国建国67周年、韓日国交正常化50周年の節目に当り、記念式典に参加。

戦争、終戦、建国、日韓関係の歩みなどを再認識。平和への思いを培う日とした。

過去の歴史認識による現代までの歩みを、頂いた資料、及び、安倍首相の戦後70年の談話より認識を深め、難解な局面状況が、よくここまで進歩し、半世紀前、両国民の往来は年間1万人だったが、現在は500万人時代となった。と。

それから、2002年には、サッカーのW杯を共催し、韓流、日流の文化交流など、活発な人的交流へと作り上げた軌跡に思いを寄せ、心を整理した。

そして、新たな思いで、私なりの人的交流、日本社会との携わり方に透明さを増す日とした。

戦争への淋しさを抑え、人類の平和を心から願いつつ・・・今の平和な時代で生を営む好運にも感謝を忘れない日とした。