社長  閔 南淑のブログ ・ 温エネルギー記

2013.02.12

第28回 京都賞授賞式及び晩餐会に参加して

2012.11.10 国立京都国際会館・プリンスHOTELにて

記念すべきこの度の式典参加は、我が人生の最良の日。

25年前、キムチ達の職に結ばれ、彼らの生態に悩まされる日々の輪中、ゲーテの植物変態論をシュタイナーの思想より気づき、自然科学思想を参考。今迄、何とかキムチに関する質問やクレーム処理などを無事にできた。その間、私たちも社の発展と共にハードルを超える度ささやかではあるが成長し、この式典創立者でいらっしゃる、理事長 稲盛和夫様の事業の大義名分 『 心を高め 経営を伸ばす 』 理念の成果が生み出された精神 京都賞理念 『 人のため 世のために 役立つことをなすことが 人間として最高の行為である 』 場面を直接触れる。出席者と共に、世界最高の知性実践成果の場に恵まれた喜びは、計り知れないほどの感無量の記念日。

ここに辿りつく迄、難解なキムチ(植物)達の生態に関するお客様の質問、なぜすっぱいですか? なぜ袋がふくらむのですか? なぜカビるのですか? なぜ前回と味が違うのですか? 辛いですか? 発酵の神秘性に至るまで・・・数え切れない問いに翻弄される日々の中・・・。根拠に基づく答えを見つけるため、真剣な研究を多方面でしなければならない状況下、読売新聞主催 『 21世紀の創造 』 ノーベル賞受賞者フォーラムに年2~3会場、10年間通い、最高知性の方々の科学のご指南、人間性形成、世界秩序への統一性に学び、何とかキムチ達の世界を多少理解すると共に、人間形成にも大いに役立ち、難解が解き始め、自由な精神まで得る過程の中、2009年から京都賞受賞式参加へ導かれる幸運に恵まれた。この度は有難く晩餐会まで招待の運びを頂き、人生最良の日となった。

授賞理由内容は、社員達の人間教育の一環として、下記の方に載せておきます。

 

晩餐会の感想について

まず、決められた服装用意は、体に合うものが見つからず大変・・・何とか三越本店でみつけ着用。気に入り自信となって会場につくと、何人かの友人たちが誉めて下さり、心は落ち着きを取り戻す。キムチ達のおかげで、この場にいることを思いつつ・・・。

ロビーにて、安藤忠雄建築家(第18回京都賞受賞 思想芸術部門)に出会い記念写真をと写って下さる方いらっしゃる。

私は12年4月、この建築家の明治記念館での、3,11の鎮魂の森へ募金として講演会に参加。この方の本を頂く。その中、所員教育の場面を思い出し質問、温和で豊かな表情に見えるこの方は、『 仕事中の私はいつも、荒れて怒りまくっている。妻はそれを見守り、冷静な判断で所員を気遣ってくれる 』 安藤忠雄 仕事をつくる  54Pより

建築で偉大なものを作り上げる有識者が、何故怒りをと? 申すと、今の若者は怒っても気づかぬところが多く、やめる人も多いと申され、私は、ああ・・・怒ってもわからずと・・・気づき大喜びの一時になった。

750人程の出席者 名簿は、皇家及び多方面の人格者の方々集い、知的熱気溢れる会場独特な雰囲気に包まれる。私の席は右入口のはしで、舞台見やすく主台よりは一番遠い位置で落ち着き息を整う。

・・・左右入口より主催方々ご入場を、総立ち最上の礼で迎える。右はしの私の席は、一番目となって入場なされる名誉総裁 高円宮妃久子殿下を先頭に 稲盛理事長他の方々を迎える幸運席となったのだった。

その折、高貴な方々特有の香気に優雅なきもの姿で、私の喜びの微笑に高円宮妃久子様も寄り添う如く微笑んで下さり、思いがけない特香を交換できる一瞬の味わいとなった。・・・我が遠祖達の宮廷歩みに想いを寄せながら・・・ああ・・・そうなのですねと思った。

席の前左には、韓国籍 鹿児島出身の心臓専門医 和温療法研究所所長 鄭夫妻。同島の方々が隣接。皆々初めての招待で、席の配慮行き届きに大感動の称賛飛び交し喜び合う。

晩餐会は 『 人のため 世のために 役立つことをなすことが 人間として最高の行為である 』 京都賞受賞者は、その業績が偉大であることは勿論のこと、謙虚にして人一倍の努力を払い、道を究める努力をし、己を知り、偉大なものに対して敬虔なる心を持つ人であること、またその努力の結果が真に人類を幸せにすることを願っていた人であることなど、その精神性についても高い理想を掲げて参りました。

主旨のごあいさつを稲盛理事長よりなさり、人類共通の願いに、皆、心を合わせ共有し、至高の畏敬念で沿うのだった。750人程もいらっしゃるのに静寂がつつまれる中。

その理念の精神から、格別なエネルギーが溢れ流れ、受賞者の方々を称え、日本舞踊で今迄の苦悩を労い、その成果が人類社会に多大な貢献を、果たされる確信に満たされる場を、キムチ達に出会い授けされる晩餐会の一人になった。

私が憧れて止まぬ世界知性の実践活動がもたらす、高貴な精神に触れる一夜で、人生最良の記念日に出会ったのだった。係わる全てに永遠なる感謝を込めて・・・・。

 
京都賞H24.10 026 (1)
 

受賞者の紹介

大隅 良典 博士
分子細胞生物学者 東京工業大学 特任教授

贈賞理由 基礎科学部門受賞

細胞の環境適応システム、オートファジーの分子機構と生理的意義の解明への多大な貢献

大隅良典博士は、細胞が栄養環境などに適応して自らタンパク質分解を行うオートファジー(自食作用)に関して、酵母を用いた細胞遺伝子学的な研究を進め、世界をリードする成果をあげた。

オートファジーは、1960年初頭に、動物細胞内の食胞として知られているリソソーム中に細胞質成分であるミトコンドリアや小胞体が一重膜で囲まれて存在していることから提唱された概念で、細胞内成分や細胞内小器官がリソソームに取り込まれて分解を受ける過程を意味する。その後、多種類の細胞やいくつかの臓器でこの現象が報告されてきたが、オートファジーの分子メカニズムや生理的意義は不明なままであった。

大隅博士は、出芽酵母Saccharomyces cerevisiaeで空砲の機能を研究していたが、1992年、タンパク質分解酵素B欠損株を低栄養培地に曝すことにより空砲中に一重膜で囲まれた細胞内小器官成分が出現すること、即ち、酵母でオートファジーが誘導できることを発見した。

同博士は、ついで上記現象を利用して、タンパク質分解抑制と栄養飢餓によってもオートファジーが誘導されない多数の変異株を同定した。博士の酵母におけるオートファジーと変異株の発見は、オートファジーの分子機構解析に道を拓いたものである。これが基盤となり、これまでオートファジーに関係する数十の分子が同定され、これらの機能解析により、飢餓などの刺激に応じて、どのようにして細胞内成分や細胞内小器官を囲む新規の膜構造が形成され、これがリソソームに融合するかの道筋が明らかになりつつある。

酵母におけるオートファジー関連分子の発見は、哺乳類を含む動物細胞でのオートファジー関連分子の同定につながり、これらを利用して、動物におけるオートファジーの多様な生理的意義が多くの研究者により明らかにされた。即ち、オートファジーが出生に伴う飢餓状態への適応に不可欠であること、オートファジーが神経での異常タンパク質の蓄積を防ぎ神経細胞死を防止するために必要であること、心臓の収縮力を維持するためにオートファジーを伴う代謝回転が不可欠であることなどがある。大隅博士の貢献は、生体の重要な素過程の細胞自食作用であるオートファジーに関してその分子メカニズムと生理的意義の解明に道を拓いたものとして高く評価されるものである。以上の理由によって、大隅良典博士に基礎科学部門における第28回(2012)京都賞を贈賞する。

 

ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク教授
文芸批評家・教育家 コロンビア大学 ユニバーシティ・プロフェッサー

贈賞理由 思想・芸術部門受賞

知的植民地主義に抗う、開かれた人文学の提唱と実践

ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク教授は、グローバリゼーションの席巻する現代社会において、新たに再生産されつつある知的な植民地主義、つまり地域、階層、民族、宗教、世代、ジェンダーなどの要因が複雑に絡み合う 『 知 』 と 『 権力 』 の見えない共犯関係に深いメスを入れ、その圧力に強く抵抗してきたインド系知識人である。

教授は 『 脱構築 』 という言語中心的な批評理論を政治・経済・文化的な次元へと移し換え、歴史学、政治学、フェミニズムなどにも影響をあたえながら、文化理論を核とする独自の人文学の構想を提示してきた。

とりわけ、『 サバルタン 』、つまり 『 みずから語る 』 ことが不可能な場所へ追いやられた人びとを論じた著作 『 サバルタンは語ることができるか 』 は、教授の仕事において中心的な位置を占める。そこで教授は、歴史的に沈黙させられ、周縁化されてきたこの弱者の 『 声なき声 』 に深く耳を傾けるとともに、その声を知識人たちが 『 代弁 』 する過程で形成される新たなアイデンティティの物語と、そこに否応もなく生じる抑圧の構造にも鋭く警鐘を鳴らしている。それを端的に表現した“unlearn”、つまり 『 学び知ったものを忘れ去ってみる 』 という考え方によって、みずからの特権的位置をあえて突き崩していくことで 『 知 』 と 『 権力 』 の共犯関係から離脱していこうとする教授の開かれた姿勢は、グローバリゼーションを推し進める政治・経済・文化が、国民国家の枠組みを超えるどころか、逆に新たな植民地主義として機能していることを厳しく批判する 『 ポストコロニアリズム 』 の展開に大きな影響を与えてきた。

教授は、この新たな植民地主義に抗いうるのは、ナショナリズムの閉じた想像力ではなく、言語に深く規定された諸文化のその複数性のなかで起動するトランスナショナルな想像力であるとし、みずから多言語に深く関わりつつ、文学や歴史のテクストを地政学的に、さらにはまた世界経済のコンテクストとの内的な連関において読み解いていく人文学を実践してきた。そのことを通して、教授は、比較文学をはじめとする人文学の領域に、現代の国際政治状況を批判する大きな力があることを示したのである。

教授の思想の背後には、講壇を出て学問を社会的な実践へとつないでいく空間をみずから切り拓いていく、学者・教育者としての生き方がある。インド国籍のまま、アメリカで教鞭をとり、また世界各地での対話や集会に出向く一方で、故郷西ベンガルを定期的に訪れ、インドとバングラディッシュの農村での識字教育や現地文学の翻訳に努めている。見えない抑圧の網の目のなかで言葉と歴史とを奪われてきたマイノリティに対し、深い倫理的な応答責任を果たそうとする教授の社会的な実践には、世界各地の言論人・運動家から大きな共感と尊敬が寄せられている。以上の理由によって、ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク教授に思想・芸術部門における第28回(2012)京都賞を贈賞する。

 

アイバン・エドワード・サザランド博士
コンピュータ科学者 ポートランド州立大学 客員研究員

贈賞理由 先端技術部門受賞

コンピュータグラフィックスと対話的インタフェースにおける先駆的業績

アイバン・エドワード・サザランド博士は、情報提示のためのコンピュータグラフィックス技術と、それを用いて、プログラミングすることなくコンピュータを使うことのできる対話的インタフェースの発展に先駆的かつ根幹的な貢献を行った。

今迄のさまざまな業績からコンピュータグラフィックスの父とも呼ばれるサザランド博士は、コンピュータの対話的利用を可能とする世界の創出に多大な貢献し京都賞を贈賞する。

 

サザランド博士の ものの見え方

人の視覚的記憶は強いものです。私たちは、人々のこと、できごと、ものごとを記憶していて、時が経ってもそれらが 『 見える 』 のです。写真はその視覚的記憶を呼び覚ます助けになります。好きなものの写真は、写真に写っている以上のものを思い出させてくれます。

人々は視覚的記憶を共有します。画家は絵画で視覚的記憶を表現します。詩人は注意深く選択した言葉で視覚的記憶を表現します。文学作品は 『 言葉の絵 』 で視覚的記憶を記録しています。

視覚的記憶は想像以上のことがらであるともいえます。写真と違って、絵画は、画家の心の中にあるものを見せることができます。作家は事実かのように物語を書きます。詩人は、注意深く選択した言葉で人の感情を表現します。画家、作曲家、作家、アニメ製作者などが実際に存在しないものを見せてくれる創造性は素晴らしいものですが、どこかに残っていた記憶かもしれません。

画像は科学の進歩を助けます。顕微鏡は微生物の世界を見せてくれました。望遠鏡のおかげでガリレオは木星の衛星を発見しました。新しい画像は、私たちの住む世界の理解の仕方を完全に変えてしまいます。

人の心から表現された画像もまた、新たな理解をもたらします。画家が存在しないものを絵画で表現するように、数学者、技術者、科学者も想像物の絵を作ります。これらの絵は私たちを未来へ導きます。数学的曲線は、その特性を明らかにします。タンパク質の形状はその機能を明らかにします。橋梁の図面はどのように見えるかを示すだけでなく、どのように建設するかも教えてくれます。

コンピュータグラフィックスは創造のための道具にすぎません。創造性は人の心の中に存在します。これまで存在しなかったもののイメージ、そのようなものであろうというイメージ、あるいは私たちの住む世界を理解する助けとなる考えのイメージ、これらを与えてくれる人間の創造性を大事にしようではありませんか。その手段としてのこのコンピュータグラフィックス、紙に描いたスケッチ、方程式、または文章といった形式は重要ではありません。その意味するところが、その表現から人の理解の中に飛び込んでくるのであれば、その形式が最善なのです。理解されるということがその価値なのです。

☆京都賞受賞模様の写真などは下記へ

http://www.kyotoprize.org/ja/