社長  閔 南淑のブログ ・ 温エネルギー記

2013.06.05

人は何のために生きるのか       講師  稲盛和夫

盛和塾 関東地区 塾長例会 山梨

3月6日 山梨県民フォーラムに参加して学ぶ  コラニー文化ホールにて

 
 

はじめに

私は、人は皆、幸せな人生をまっとう出来ると考えております。

どんな境遇にあろうとも、愚痴や不平不満を漏らさず、常に生きていることに感謝すると同時に、周囲の人々に対して、また社会及び自然に対しても感謝するような、澄み切った美しい心を持つ。

また、いかなる困難に遭遇しようとも、明るく前向きに自らの運命をいい方向へ変えていこうと必死の努力をする。そのように努めるならば、誰もが幸せな人生を歩むことが出来ると、私は信じております。

皆さんにも、ぜひ素晴らしい幸せな人生をまっとうして頂きたいと願い、人生というものについて稲盛師がかねてより思っていらっしゃることをお話しさせて頂きました。

人生とはどうなっているのか、そのことを知っているのと、知っていないのとでは、人は、それぞれ生き方が変わってくるのではないかと思っております。

今年81歳になり、人生を振り返り、人生とは、このようになっているのではないかと私なりに考え思っていることについて、皆さんの今後の人生にご参考になれば、幸いに思っていらっしゃるところから、下記の要諦のみ抜粋し社員の皆様にご参考になれればと思いまとめました。( 全体はB5で24ページ )

生きていることに感謝する

人は、幸せを感じる心がなければ、感謝に至りません。普通は、不足を感じる事ばかりで、心の中は不満でいっぱいです。だからこそ 『 足るを知る 』 ことが大事なのです。足るを知れば、幸せを感じ、感謝することが出来るようになります。

善きことを思い、善きことを行えば、人生は好転する。

人生は 『 運命 』 という縦糸と 『 因果の法則 』 という横糸によって織りなされる。

因果の法則によって 『 運命 』 を変えることが出来る――― 『 陰騭録 』 に学ぶ 『 立命 』 ―――

東洋哲学を広く世に説いた安岡正篤さんの 『 運命と立命 』 の本に中国の陰騭録(いんしつろく)という書物を解説しておられるのを稲盛師はご引用。

『 因果の法則 』 善いことを思い、善いことをすれば運命は善き方向へ変わっていくし、悪いことをすれば、その運命は悪い結果へと変わっていく。そういう厳然たる因果の法則というものが我々の人生にはみな備わっているのです。

善き思いは、万物を生成発展させる 『 宇宙の意思 』 に合致する。
『 因果の法則 』 が信じられない理由は結果がすぐには人生にあらわれない故に。

【 宇宙には森羅万象を生成発展させていこうとする 「 意志 」 がある 】
           
私もそうでした。 『 陰騭録 』 で語られているように、運命という縦糸と、因果の法則という横糸で織り成された布が、私たちの人生なのだといことを理解しよう、信じようとして、必死で悩み、考えました。

そのときに、天文物理学の最先端の研究に従事する、ある先生から宇宙創成に関するお話を聞いたことがきっかけで、大きな気づきをえることができました。そして、その気づきが、理工系の勉強をし、技術屋でもあった私に、因果の法則の存在を心から納得させてくれたのです。

現在、我々が住んでいるこの宇宙は、今から約137億年前、ごく小さなひと握りの高温高圧の素粒子のかたまりでありました。そのかたまりが大爆発を起こし、現在あるこの大宇宙をつくり、そして今でも宇宙は膨張し続けていると言われています。これが、ビックバン理論と呼ばれる、宇宙創成に関する、現在の天文物理学の理論的な説明です。

我々が生きているこの世界には、いろいろな物体がありますが、その物体は全て、素粒子からつくられています。

宇宙も最初、ひと握りの小さな素粒子のかたまりにすぎなかったものがビックバンといわれる大爆発を起こし、膨張を始めていきました。この爆発と膨張のなかで素粒子同士が結合して陽子という粒子をつくり、また中間子、中性子をつくりました。また、この3つの粒子が結合して原子の原子核が生まれました。さらには、この原子核に電子がひとつトラップされて、この宇宙で一番小さな原子、水素原子が初めて誕生したのです。

水素原子は、もちろん我々の目にはみえませんが、このなかには原子核があり、その周囲を電子がひとつまわっています。原子核は陽子、中性子、中間子の3つからできているのですが、これを壊せば、複数の素粒子が出てきます。

つまり、元々は素粒子でしかなかった宇宙が大爆発を起こしたことによって素粒子同士が結合して、陽子、中性子、中間子をつくり、さらにこの3つが結合して、最初の原子核をつくった。そしてそこに電子がつかまることによって一番小さな原子である水素原子が生まれた、というわけです。

そして、その水素原子が核融合を起こし、水素原子同士が結合すれば、水素原子の2倍の重さになるヘリウムという原子ができます。水素原子が水素爆弾と同じ原理で核融合を起こし、互いが結合するとき、膨大なエネルギーが放出されます。

このことは太陽をみればわかります。水素からできあがっている太陽では、水素原子同士がくっつき、水素よりひとつ重いヘリウムという原子が次から次へとつくられています。この過程で、太陽は我々に膨大なエネルギーを供給し、地球を温めてくれているのです。

要するに、この宇宙はもともと目にもみえない、重さもないようなひと握りの素粒子であったのです。それがビックバンという大爆発を起こしたことによって原子が生まれ、その原子同士も結合して、さらに重い原子を生み、そうして次から次へと原子をつくってきたのがこの宇宙であるわけです。

皆さんも高校の化学の時間に習った元素周期律表のことを覚えていらっしゃることと思います。水素から始まり、ヘリウム、重いものではウランというふうに、たくさんの元素があることを、そのときに習ったと思いますが、現在、地球上には100を超える原子、元素があります。

しかし、宇宙はその原子のままに留まることはありません。それらの原子がまた、原子同士で結合し分子をつくっていきました。さらに、分子も互いに結合して高分子をつくりました。この高分子のなかにDNA、つまり生命の起源となるようなものがトラップされ、地球上に生命体が誕生しました。この生命体も進化を重ね、人類という存在までつくりあげていきました。これが現在の地球の姿であり、宇宙の姿であるわけです。

もともと宇宙は無生物であり、陽炎のようなものであり、目にもみえないようなひと握りの素粒子のかたまりでしかありません。しかし宇宙は、素粒子を素粒子のままに放ってはおきませんでした。一瞬たりともそれを留め置くことなく、次から次へと成長発展させていったのです。

中間子、中性子、陽子をつくり、それがひとつになった原子核をつくり、原子核から原子をつくり、原子同士を結合させて分子をつくり、さらには生物へと進化させるというように、次から次へと生成発展を重ね、こんにちの宇宙をつくってきた。つまり、この宇宙には森羅万象あらゆるものを生成発展させていく法則があると言ってもいいのではないのでしょうか。

この宇宙には無機物、有機物、すべてのものを慈しみ、育て、よい方向へよい方向へと進めていくような気が流れていると言ってもよいのかもしれません。または、宇宙にはすべてのものを愛し慈しみ、よい方向へと流していくような愛が充満している、あるいは、宇宙にはすべてのものを慈しみ育てていくような意志があると言ってもよいのかもしれません。

誰の手になるものか知るよしもありませんが、宇宙ができてからこんにちまで、道端に転がる石ころや土くれなど無生物までも、全ての森羅万象をよき方向へと進化発展をするようにしてきたのです。つまり、ビックバンが始まってから137億年という長い歴史のなかで、宇宙は一瞬たりとも休むことなく、すべてのものを愛し慈しむかのように、よい方向よい方向へと進めてきたのです。

そういうことをしてきたのが宇宙であり、宇宙にはそういう意志があると思ってもよいのではないか。宇宙には素晴らしい愛が充満し、すべてのものを慈しみ育てていくような意志があると言ってもおかしくはないのではないか――――。天文物理学の最先端の理論を聞いたとき、私はこのことに気がついたのです。

そのような宇宙に我々が住んでいるとすれば、我々はどのようなことを思い、どのような想念を抱き、どのようなことを実行するのか、ということが大切になってきます。我々がすべてのものをよい方向へと進めていこうという意志が充満している宇宙に合うような想念を、つまり、すべてのものを愛し、すべてのものを慈しみ、すべてのものによかれかしと願うような想念を抱いたときには、宇宙の波長と合い、人生が好転していくのです。
                                  
このように考えれば、「 なるほど 」 と、うなずけるわけです。 『 陰騭録 』 で説かれている因果の法則は単なる迷信ではない。科学的に考えても辻褄が合うと、私は理解をいたしました。

理工系出身なだけに、理屈っぽい私です。科学的に考えて合理的でなければならないと考えている私でも、これならばと理解ができました。そして、科学的に考えても因果の法則が厳然として存在するならば、それに従って生きていかなければならないと、私はそのときから思ってきたわけです。

因果の法則にしたがうことで好転した私の人生

【 試練にどう対処するかでその後の人生が変わる 】

実際に私は、この人生を生きるなかで、できるだけ災難に遭わないように、会社が倒産しないように、従業員を路頭に迷わさないようにしよう。そのためには少しでも善いことを思い、善いことをするようにしていこうと努めてきました。

つまり、因果の法則を信じ、それに沿って生きていこうとしてきたわけですが、実のところは、なかなか人生は思い通りにはいきませんでした。思わぬ災難に遭ったり、思わぬ幸運に出合ったりして、この人生を一喜一憂しながらこんにちまで生きてまいりました。

また同時に、企業経営に懸命に努めながら、私が出合った数多くの災難や幸運。私はそれらの両方を、人生における試練だと思ってまいりました。そして、そのような人生における試練に出合ったとき、その試練に対して、どのように対処したのかによって、その後の人生が決まっていくのではないかということに、気がつくようになりました。

自然というものは、我々が人生を生きていくなかで試練を与えます。私のいう試練とは、あるときには災難であったり、あるときには幸運であったりします。幸運に恵まれることも、その後、謙虚さを忘れ、傲慢になり、没落していく人がいることを考えれば、試練のひとつなのだと、私は思うのです。決して、災難だけが試練ではありません。

そのような幸不幸いずれの試練に出合ったときにも、どのように対応するのか。それによって、その後の人生が変わっていくと思っていた私は、災難に遭おうとも、幸運に出合おうとも、どんな試練であろうとも、それを感謝の心で受け入れていこうと考えてきました。 「 ありがとうございます 」 という感謝の心で、災難という試練を受け取ろうとしてきたのです。

人というものは災難に遭えば、 「 なぜ私だけがこんな目に遭うのか 」 と思ってしまい、世間を恨んだり、人を妬んだり、挙句の果てには嘆き悲しみ、自分自身を腐らせてしまうことさえあります。そして愚痴をこぼしながら、ますます暗い人生を辿ってしまうというのが普通の姿だと思います。

しかし私は、決してそういうふうにならないようにしよう、どのような災難に遭おうとも、それは試練として神が私に与えてくれたものだと受け止めて、前向きに、ひたすらに明るく努力を続けていく、そんな生き方をしていこう――――。私はそのように思い、人生を生きてきました。

・・・これらの、ご経験を

☆ 災難続きだった青少年時代のお話

☆ 研究に没頭し、明るく前向きに努力したことが運命を好転させた。 それは、災難や幸運を神が与えた試練として受け止めて、前向きにひたすら明るく、努力を続けていく生き方をしたいと 『 素直 』 に思えるようになったのだと思います。

◎ 成功しても謙虚な人だけが幸運を長続きさせることができる。

2009年 日本政府からのJAL再生要請をお受けなされ、さまざまな悩みの末、 『 世のため人のために役立つことが人間として最高の行為である 』 という人生観に照らし、下記の3つの理由からお引き受けになられ、成功へ導くお話をさせて頂きました。

1つは、日本経済への影響です。

日本航空は日本を代表する企業であるだけでなく、伸び悩む日本経済を象徴している企業でもありました。その日本航空が二次破綻でもすれば、日本経済に多大な影響を与えるだけでなく、日本国民も自信を失ってしまうのではないかと危惧いたしました。一方、再建を成功させれば、あの日本航空でさえ再建できたのだから、日本経済が再生できないはずはないと、国民が勇気を奮い起こしてくれるのではないかと思った次第です。

2つには、日本航空に残された社員たちの雇用を守るということです。

再建を成功させるためには、残念ながら、一定の社員に職場を離れてもらわなくてはなりません。しかし、二次破綻しようものなら、全員が職を失ってしまうことになります。それだけは避けるべきだ、残った社員の雇用だけはどうしても守らなくてはならない、と考えました。

3つには、国民のため、すなわち利用者の便宜をはかるためです。

もし、日本航空が破綻してしまえば、日本の大手航空会社は1社だけとなり、競争原理が働かなくなってしまいます。運賃は高止まりし、サービスも悪化してしまうことでしょう。それは決して国民のためになりません。健全で公正な競争条件のもと、複数の航空会社が切磋琢磨する中でこそ、利用者に、より安価でより良いサービスが提供できるはずです。そのため、日本航空の存在が必要だと考えました。

日本航空の再建には、このような3つの大きな意義、 「 大義 」  があると考え、いわば義侠心のような思いから、私は日本航空の会長に就任し、再建に全力を尽くそうと決意した次第です。

そして私は、この3つの大義を、日本航空の社員にも理解してもらうように努めました。社員たちもそのことを通じ、日本航空の再建は、単に自分たちのためだけではなく、立派な大義があるのだ、世のため人のためでもあるのだと理解し、努力を惜しまず、再建に協力してくれるようになりました。

このことには、私が高齢であるにもかかわらず、誰もが困難と考えていた日本航空の再建を無報酬で引き受けたということも幸いしたのかもしれません。先にお話ししたように、当初は週3日くらい、と考えていましたが、しだいに日本航空本社に詰めるのが週4日、週5日となっていきました。私は80歳を前にして週のほとんどを東京のホテル住まいで過ごし、ときには夜の食事がコンビニのおにぎりになることもありました。

そのような姿勢で懸命に再建に取り組む私の姿を見て、労働組合を含め多くの社員が 「 本来なら何の関係もない稲盛さんがあそこまで頑張っているなら、我々はそれ以上に全力をつくさなければならない 」 と思ってくれたようです。

同時に、私は会長に就任してすぐに、「 新生日本航空の経営の目的は、全社員の物心両面の幸福を追求する 」 ことにあるということを、繰り返し社員に訴えていきました。

企業とは、株主のためではなく、ましてや経営者自身の私利私欲のためではなく、そこに集う全社員の幸福のためにこそ存在する、というのが私の確固たる信念であり、私の経営哲学の根幹をなす考え方でありました。

そうした会社の経営の目的を説くことで、日本航空の社員たちは会社を自分たちの会社と考えるようになり、再建に向けた強い意志をともに共有することができたように思います。そして、自分たちの会社の再建のために、、また仲間のために尽くすという心をベースに、経営幹部から社員までが自己犠牲をも厭わない姿勢で再建に臨んでくれました。

その上で、私は自分の人生哲学、経営哲学である 「 京セラフィロソフィ 」 という考え方を、日本航空の幹部、社員たちに説いていきました。

つまり、日本航空再建の大義を果たし、全従業員の物心両面の幸福を実現していくには、こういう考え方で仕事に向かい、経営にあたらなければならないということを、全社員が共有しなければならないと考えたのです。

その 「 京セラフィロソフィ 」 とは、具体的には、「 常に謙虚に素直な心で 」 「 常に明るく前向きに 」 「 真面目に一生懸命仕事に打ち込む 」 「 地味な努力を積み重ねる 」 「 感謝の気持ちをもつ 」 などといった、人間としてのあるべき姿、人間としてなすべき 「 善きこと 」 についてまとめたもので、私はその一つひとつを日本航空の社員たちにひもといていきました。

そして、そうした人間としての 「 善きこと 」 の実践に、社員一人ひとりがそれぞれの持ち場立ち場で懸命に努めていきました。すると、マニュアル主義と言われていた、日本航空のサービスは改善され、全社員がお客様のことを第一に考えて、心のこもったサービスを自発的に提供できるようになり、それとともに業績も向上していったのです。

航空運輸業とは、飛行機をはじめ運行や整備に必要な機器を多数所有しているため、巨大な装置産業だと思われがちですが、実際はお客様に喜んで搭乗していただくことが何より大切な 「 究極のサービス産業 」 だと、私は考えていました。そして究極のサービスをどういう心のこもった仕事をするのかに全力をつくしました。

・・・そして、再建初年度には1,800億円、2年目には2,000億円を超える過去最高の営業利益を達成することができました。これは世界の大手航空会社の中で最高の収益性であったばかりか、全世界の航空会社の利益合計のおよそ半分に相当したとのことです。

そして、再建3年目にあたる本年度も好業績を続け、昨年9月には、東京証券取引所に再上場を果たし、企業再生支援機構からの出資金である3,500億円に加え、約3,000億円をプラスして、国庫にお返しすることができました。

再建をほぼ成し遂げ、その任を終えた私は、この3月で日本航空を退任しようと考えておりますが、これまでの3年にわたる日々を振り返り、なぜこのような奇跡的な再生を果たすことができたのか、夜、床につくときにしみじみと考えました。

もちろん私は、日本航空にはびこっていた官僚主義を打破するために、責任体制を明確にするような組織改革に努めました。また、採算意識の向上をはかるために管理会計の仕組みも構築しました。そうした様々な改革も、再建に大きく寄与したことは確かです。

しかし、日本航空が劇的な再建を果たすことができた真の要因は、やはり 「 善きこと 」 をなそうとした純粋な心にあったのだと思うのです。

つまり、先ほど述べましたように、私は、日本経済の再興のため、また残った日本航空の社員のため、さらには日本国民のために、老骨にむち打ち、無報酬で日本航空の再建に取り組んでまいりました。また社員たちも、同じ思いで懸命に取り組んでくれました。そのような、ただ 「 利他の心 」 だけで、会社再建に懸命に努力を重ねている私どもの姿を見て、神あるいは天が哀れに思い、手を差し伸べてくれたのではないかと思うのです。

そうした 「 神のご加護 」 なくして、私の力だけで、あのような奇跡的な回復ができるはずがないと思うのです。

今、世間は、日本航空の再建を果たしつつある私を賞賛してくださいますが、決してそうではありません。 「 偉大な人物の行動の成功は、行動の手段によるよりも、その心の純粋さによる 」 という古代インドのサンスクリットの格言があるとお聞きしていますが、ただ混じりけのない私自身の心、純粋な行為に対し、天が憐れんで、手助けをしてくださったものと、今3年にわたる再建の日々を振り返り、強く思っております。

それは、まさに本日皆さんにお話ししてまいりました、 「 善きことを思い、善きことをすれば、運命はよき方向に変わっていく 」 ということを証明する格好の事例であると思います。

皆さんの人生も同じではないでしょうか。自分の力だけではなく、神というべきか、自然というべきか、人智を超えた偉大な力が支援してくれるような人生を送っていくことが大切です。
                                 
それは決して難しいことではありません。すべては、自らの心次第です。今日お話しした 『 陰騭録 』 に描かれた袁了凡さんのように、できるだけ善きことを思い、善きことを行うこと、また自分の心を、少しでも純粋で美しい心に変えていくことで、自然を味方につけ、人生を素晴らしいものへと好転させることができるのです。

人生の目的は魂を磨くこと

【 生まれてきたときよりも少しでも美しいものにする 】

今までの80年あまりにわたる人生の中で、幾多のそうした経験をしてきただけに、自分自身の心を純粋で美しいものに変えていくことが、すばらしい結果を導くとともに、それが人生の目的そのものだと、私は今考えています。

私たちは、自分の意志によってこの世に生を享けたのではありません。物心がつき、気がついてみればこの世で両親の下に生まれました。そして自分の意思とは無関係にこの人生を生き、運命と因果の法則が織りなす人生の布を伝って、こんにちまで生きてきました。

その間、災難にも遭いました。幸運にも恵まれました。それらの試練に出合いながら自分自身の魂を磨き、美しい心、美しい魂をつくり上げていくことが、私たちに与えられた人生の目的ではないかと思うのです。

心を磨くということは、魂を磨くことです。言葉を換えれば、人格を高めることであり、人間性を豊かにしていき、美しい人間性をつくっていくということです。

人間は本来、真善美を求めると言います。 「 真 」 とは正しいことであり、 「 善 」 とは善きことであり、 「 美 」 とは美しいものであり、人間はそのようなものを探究する心を持っています。人間がこの3つを求めているということは、人間という存在自体が真善美という言葉で表現できる美しい魂そのものなのだと言えるのかもしれません。

そして、そのような私たちが本来持つ、愛と誠と調和に満ちた美しい心をつくっていくことこそが、私たちがこの人生を生きていく目的ではないかと思うのです。

仏教的な思想では、魂は輪廻転生していくと考えられています。私の魂が稲盛和夫という肉体を借りてこの現世に姿を現わし、その肉体が滅びると同時に新たな旅立ちを迎え、やがてまた肉体を借りてこの現世へと転生してくる。

そうだとすれば、私たちが生きる70年、80年という期間は、輪廻転生する魂を磨き上げていく期間なのかもしれません。生まれてきたときに持ってきた自分の魂を、この現世の荒波のなかで洗い、磨き、少しでも美しいものへと変えていく。そのために人生というものがあるのではないかと思うのです。

死にゆくとき、生まれたときより少しでも美しい魂に、やさしい思いやりに満ちた心を持った魂に変わっていなければ、この現世に生きた価値はない。つまり、人生とは魂を磨き、心を磨く道場なのではないでしょうか。

しかし、そのように考え、心を磨こうと思っても、実際にはなかなかうまくいかないのが人間です。善き思いを抱こうと思っても、 「 儲かるかどうか 」 「 自分にとって都合がいいかどうか 」 ということで、つい行動してしまうのが人間です。そうした悪しき思いが出てきたときに、モグラたたきのようにその悪しき思いを抑えていくことが重要です。そのように、日々反省をすることが、心を磨くためには不可欠なことだと私は考えています。

修行をして素晴らしい悟りを開いたような人になれればいいのですが、我々凡人が厳しい修行を積み、そのような立派な人格者になるということは難しいことです。しかし、人格を高めていこう、自分の心、魂を立派なものにしていこうと、繰り返し繰り返し努力をしている、その行為そのものが尊いのです。

皆さんも、ぜひ人生という道場の中で、善きことを思い、善きことを行うよう努めていただきたいと思います。そのことによって、皆さんの魂、心は磨かれていきますし、その美しい心で描いた思いは、人生において必ず成就していくのです。

繰り返し申し上げます。すべての皆さんが、素晴らしい人生を生きていけるように自然がつくってくれています。本来、この世の中に、不幸な人はいないはずであり、あってはならないのです。

我々がどういう心構えで、どういう考え方でこの人生を生きていくのかということで人生は決まっていくということを、自然は我々に教えてくれています。自然が意地悪をして我々の人生を曲げているのではありません。我々の人生は我々の心のままにつくられていくのです。

今日は皆さんと一期一会でお目にかかりました。皆さんの人生がどうぞ素晴らしい人生であるように、そしてこの現世から別れるとき、 「 自分の人生はよかった。もしたとえ、恵まれた人生ではなかったとしても、私にとってこの人生は、魂を磨くことができた、素晴らしい人生であった 」 と思えるような生き方をしていただくようお願いをいたしまして、説教がましいお話を終えたいと思います。

私自身、こんにちまで生きてきたなかで感じてきたことを、率直にお話しすれば、それが皆さんの人生をよき方向へと進めるお手伝いになるのではないかと思い、たいへん僭越なことを申し上げました。

本日は、ご参集をたまわり、誠にありがとうございました。

どうぞ皆さんの人生が、さらに素晴らしいものになりますことを、心より祈念申し上げ、講演の結びとさせていただきます。ありがとうございました。と、お締めになりました。

4月7日 社長と課長 朗読会   6月3日 大木事務員と森 朗読会
6月7日 社長、専務、課長、主任、事務員 朗読会