社長  閔 南淑のブログ ・ 温エネルギー記

2012.12.10

西本智実  記念コンサート観賞にあたり

2012.11.3

西本智実 自らオーケストラ結成 記念コンサートの記事(10/31)を 夜食の店にて 新聞を手にし知り。

上野恩賜公園野外ステージ・・・へ

この方に対しての 何とも言えぬ魅力を抱いていて 何度か聞きに行ったのを思い起こし 初めての野外でのコンサートに心ときめきながら行ったのでした。

それも 突然参加の当日券にもかかわらず 一番良いとされる席が一つ残っていて・・・
彼女に惹かれていたので 誘われ座らされるごとく ときめきは上昇し 美しい上野公園の風に乗る音楽と共に この方の素晴らしい指揮に重ね 作曲家の思いを ご自分の精神で研ぎ澄まし 私達に 『 目に見えない音が 風に流されていく不思議な現象を 体感、五感を働かせて 自分の中で クリエイティブな作業をしてほしい 』 と いう願いを 感じ取る事が出来ました。

と、いうのも 燕尾服に身を包み 鋭敏な動きでオーケストラをぐんぐん引っ張っていく さっそうとした演奏風景、凛々しい容姿に 妙えなるものを秘めている女性特有のものの中に 男性が得意としている指揮を いとも簡単にやりのけるのには 驚きを禁じえないものでした。

それは 男性指揮者にはありえないと思われる 女性特有の優しさの中の美しさと力強さが重ねられ 高められた精神性の音楽が 私達を清め 生きる意欲へ連れ戻すような印象と共に 人間なる根本に立ち返らすもののようでした。

このような印象は 彼女特有のアプローチで。
その由来を 子供の頃と ご先祖様の譲りであることを ご本人の言葉を借り 知ることが出来ました。

4歳の時 ボリショイ・バレエ 「 白鳥の湖 」 を見て・・・熱が出るほど感動。親しんだクラシックで 同じ曲でもレコードによって音色やテンポに違いがあることに気付き。音大出身の母親に疑問をぶつけると 「指揮者が違うからよ。」 その一言で指揮者の存在に目が向き・・・今日のステージで その成長とこれからのビジョンを 見事に現し 熱が出るほど感動したものを 私達に転移するのを目の当たりしたのでした。

それは ご本人が 西洋音楽と接点を持った先祖の血が 自らの体に受け継がれていることを 強く意識しながら 醸し出している自信と誇りのようなものでもありました。その母方の先祖は 長崎県生月島 ( いきつきしま 東西2km 南北10kmの小島 ) 。

島で 「 オラショ 」 と呼ばれる祈りの歌が 口移しで絶えることなく 今日まで歌い継がれていると。スペイン・グラナダ地方でも 伝承されていない原曲が 宣教師によって伝えられ それに多大な関心を寄せるこの方は 音楽に力強い祈りを込めたようにも思われたのでした。

西本智実さんは 最近 先祖に深く関心を寄せ 調査を始め キリシタンである故に離縁させられた人もいることを知り 伯母は 音楽大学卒業後 カトリックのシスターになったのも知ったと。

演奏会では 暗譜している曲でも 前において指揮するスタイルは この伯母の影響を強く受けていらっしゃると。
・・・それは 「作曲家とつながっていたい。だから そこに楽譜があることが大事なんです。」  作曲家への敬意の表れと言ってもいいと ご本人がお話しなさっていらっしゃっていました。  東京新聞 12.10.31

何かを成し遂げる方 特有の・・・
『 偉大なもの・美しいものを 欣然(きんぜん:喜んで快く物事を行うさま)として 心から崇敬することは 実に私の性分である。そして この性分を 優れた対象に触れながら 日々刻々 養い育むことは いかなる感情にもまさる幸福である。 』     イタリア紀行 ゲーテ 9月17日    相良 守峯 訳
と 重ねながら・・・この方にも同じものがあることを感じたのでした。

「イルミナート フィルハーモニー 」 発足記念コンサートの理念である 啓蒙、輝き、光明、アートを 今後はバレエダンサー、オペラ歌手、さらにはクラシックの垣根を越えて 美術、衣装、空間デザイナー、アニメーション作家 なども加えた 総合芸術家集団に発展させていく意気込みを感じさせました。そして いつか11月3日 文化勲章を受賞するというのを漂わせる演奏会を ステージの裏側道路の車光が両脇から見える中 上野の風も虫達も空の星たちも協賛しているように思い 嬉しくなる夜になりました。

 

ふるあめりかに袖はぬらさじ観賞での気付き

2012.10.20

坂東 玉三郎 主演 ふるあめりかに袖はぬらさじ    有吉 佐和子 脚本

『 演劇は言葉だ 』 『 いいえ 演劇は行動です。言葉は その一部だわ 』 と 有吉 佐和子は こんな議論を 新劇の新進演出家と交わした。 ( 有吉 佐和子 『 ずいひつ 』 新制社 1958年 )と あるように・・・

・・・女形( おんながた ・ おやま ) を坂東玉三郎さんが お園役を演じる。お園は 江戸文化の中心だった 花の吉原から 新開地横浜の外人相手の遊廓という『 場末 』 に流れ着いた芸者の物語。

坂東さんが男性でありながら 女性役を演じる場面を観客と共に見入りし 息を呑み干しながら 舞台が作り出す空気に制御されるのを感じつつ その世界に誘われるのでした。

時代は幕末 近代化への開港をめぐる摩擦を 横浜を舞台にした物語。

今から154年前 1858年 アメリカ ・ オランダ ・ ロシア ・ イギリス ・ フランス 五ヵ国と 通商条約を結び 翌年から 西洋諸国と貿易を始めるに当たり 多くの外国人との係わりから生じる一面のお話。

・・・1864年のイギリス領事の報告によると この段階での横浜の日本人口は12,000人 外国人は数百人。これに加えて 観光客、商人、軍人なども 世界各地から横浜を訪れ 交流する中 起こるお話。

・・・このような背景での 一人の遊女亀遊(役者:檀れい)の心境変化で アメリカ人に袖をふらさず 自決にまつわる物語を・・・

坂東 玉三郎さんは ボイストレーニングで培った 優しく温和な声量。 長年の稽古で完成に近づけた仕草で 男性でありながら女性を演じる場面々に 観客を別世界へ誘い 日常を離れ 目と心を清め・・・一人の女性をめぐるお話から いかに生きるか、死ぬか・・・それに係わる人々が生きざまを見事に演じて下さり 人間に秘めている底力を思い知らされるのでした。・・・その秘めている力を出すため どれほどの努力がいるかをも。

何故なら 私もボイストレーニングを 細々ながら7年受けていても 納得する声などなかなか出ず 体作りの体操で 気の流れを作ってはいるものの どれほど難じのことかを心得てのことを思ったから・・・又、生産現場での動作も最高の美的仕草として 獲得させる為に どれ程の努力がいるのかも。

すなわち 丹田や筋肉・関節が自由自在に呼吸できるまで訓練無しでは この方のような自然さは出ないのであり そのためこの方は 稽古はもちろんの事 水泳では水の重力を活用し その重力を克服して得る慎ましさで 舞うような仕草を研き上げ。自然の中でも同じように 体を和らげるような舞う体操で培ったものに ご本人も申される 日常のあらゆる動きでも 美が出るまでする・・・ところから溢れ出るものを。

その姿勢・仕草を 一つ獲得するため いくばかりの訓練を要するか?計り知れないものを思ったのでした。そして 心身を統一的に自然さへ近づける美の偉大さを 尊敬の念で吸収しながら その努力に胸が熱くなる思いに至ったのでした。この方の一つの 声 ・ 動き そのものが 日本 ( 世界 ) の財産として 国宝であることを認めつつ 学び入る観賞となりました。
この方のこころとかたちのご講演 私のブログ 12.7.27 

このような美しい方に導いて下さった 大いなる力に感謝を込め 記念文として遺すことに思いつきました。当社の経営理念(HP)に 『基本姿勢』 を盛り込んだ着想に思いを寄せながら・・・。

 

大人の学校 小山代表訪問

 2012.10.9

介護の未来について 意見交換。

温熱器 2台寄付。