キムチ達が語る気持ちと世界

2011.10.20

キムチ達よ!あなた達のおかげで

会社創立21周年に当たり
                                        11年3月1日 (火)  朝

今日は、会社創立21周年の記念日。早朝3時30分に目覚め、4時に起床し記す。

昨日は、温エネルギー研究会がそれなりの成功で収め、懇親会。

キムチ達が語る。私の口を借りてー

あぁ・・・思えば21年前の1990年、日韓生協運動の交流会に参加された、我が祖国・韓国の人々。生活協同組合連合会での交流会。

 
私も、キムチ達と共に、その席に招かれ、生協の料理の中にキムチを並べた。組合員達は大喜びだったのに○○会長の、「ここまで来て商売をしている」と言う冷たい言葉。
不快感が細胞に刻まれた。

あれから21年間、商いの貴い営みは自然の心に寄り沿うのみ。
しかし、長い間積極性にかけ眠りつつ、私の気付きを待ち続けたのでした。

この出来事は、今思えば、私が無知故に商いを知らず、無知の人間達の妬み、愚かさを知らなかっただけのことで、商いの貴さを軽んじ、商いを嫌がり今に到る。
そう気づかされた21周年の朝でございます。

創立当初より事業は成長せず・・・自然の流れに任せきりで、与えられるまま。一生懸命だが、会社を大きくすると、人間応対が難しいから大きくしないと、口癖のように話して何年経つのかしら・・・。

私の意志は、時間さえあれば商いより、人間存在の意義探究に没頭し、商いで人々に幸せを運ぶ努力を疎かにしてしまった。しかしやがて商いの意識は、私の覚醒を静かに見守り、成長の手を貸して目覚めさせてくれたのでした。無知なるものを相手にせず、幸せをもたらす商いの神々を相手にせよと告げて下さった。

あぁホメロス(BC8世紀、古代ギリシャの詩人)・・・目が見えぬ詩人が、商いの神を讃え、人々に財をもたらす不思議な力を商いの神、ヘルメスと呼んで称えた詩が今私に甦りました。○○会長という方を通して現れた、商いへの不快感を見破れなかった私の無知よ!もう21年間の私の縛りから解き放ち自由になれ。それは、あの方のおかげで気付いたのだから。

商いをしない人々の中には、その行為の貴い純粋さ精神性を思った事も、考えた事もなく・・・ただ商いで悪い事をした人々の事だけ、その貴い頭脳に記憶し、軽蔑の眼差しで嫌がる態度を示す人も。何度経験したことか。

そして、いく年も、私の中で働く純粋な精神性は汚れ傷つき・・・息が苦しい状態迄になってしまった。今思えば私が、弱く無知故に。弱く無知なるものを相手にした故に。人間の三毒、欲望・妬み・愚かさを知らず・・・。

しかし、昨日までわだかまっていたあの不快感から今日からはさっぱり卒業、今度こそ負けず、商いの貴さを称える人となります。そして、崇高な精神で私達を導いて下さる、盛和塾、稲盛和夫塾長様の教え通り、商いで一人でも養い、生かせること程貴いものはないことを学んだ、証人の一人になるように・・・。

これからは人間を介入し現す妬み、身勝手、愚かさ、軽蔑を相手にせず、幸せをもたらす商いの神々(示して申す存在)を貴び、神々に似る人々よ、幸せへ共に歩こう。今からでも間に合う。何人幸せに出来るかを試みよう。と、思う朝でございます。

キムチ達よ!あなたのおかげで商いの本質に気付かされました。有難いことに・・・。
他人の商いも私達の商いも大切にし、善き人生を建設致す所存でございます。
キムチ達よ!あなたの智恵を私に貸し与えて下さい。

私達も、その御恩に報いるように努力致します。全社を挙げて。
感謝を込めて21周年を迎え、思い
未来の30周年に向けてでございます。

 

3月1日 創立記念日に当たり

我が祖国の方々、多くの苦悩に戦い
自国の自尊心を取り戻す為、立ち上がった日。
1919年3月1日、民族代表33名
日本国より独立を目指す運動宣言の日。

伝わるその痛み胸に仕舞い込み一切沈黙
それより貴いものを求め
キムチ達で日韓交流に励み
憎しみより調和へ情熱を燃やした日々だった。

今の社格を創り上げ、
21年目の3月1日の朝を迎える日。
誰の理解を得ずとも、
一人で歩んだ。

非難より協調を求め・・・
争いより平和を求め・・・
貶すより包むものを求め・・・
痛むより克服を求め・・・ひたすら歩んだ。

人間存在の意義を貴びながら・・・
涙を堪えながら・・・。
21周年に当たる2011年3月1日
初めて言葉となり涙が込み上がる自分を励ます。

私の貴いご先祖様 その名は明成皇后 閔妃。朝鮮王朝26代高宗の妃。
世界への日本帝国主義化に命絶たれた日は、1895年10月8日。
日・清・露、三国の様々な思惑と権謀術数の渦巻く朝鮮王朝宮廷に君臨し、
自己内心の声のまま生き抜いたお方。その命の種子の遺伝子は、2500年前に遡る。

人倫の仁徳の父でいらっしゃる、孔子様の3千弟子中の、十人弟子の首位の方。BC536年に中国魯国生まれの。それも、徳性を顕現弟子の1、2番弟子。今古、未来にも名高く、知恵ある問いを、私達に示し、教えていらっしゃる、『孔門の十哲』10人の高弟、顔回、閔子騫、冉伯牛、仲弓は行徳に優れし。宰予(宰我)、子貢は言語に。冉求(冉有)、子路(季路)は、政事に秀で。子游・、子夏は、学問と芸術に優れる。 広辞苑より。 原文11-3 と、共に。

人の道、道徳の秩序と法則を問い、探究。私達の為に、残して下さった思想の数々。生まれし日より人類生存の終りまで役立つ命のご指南。私が無知に包まれた20代の若い頃、自然と手に取った論語は、今も生の過程のご指南書。
いつ読んでも心晴らせ、支え、励まし、癒す、愛する書物。

かの貴い先人達の思想、私の遺伝子達を喜ばせ目覚めさせ、今に至り示すのですね。
その僕達(遺伝子達)は、全部知っていて、眠りから呼ばれ起き上がると。人類生成過程の記憶から・・・人の貴い道へと私達をお誘いあそばし、人間性を育て上げようとなさるのですね。有難いことに・・・。

それを知らず・・・知りつつ・・・
私の魂は、より貴く大きい、人類の全一へ向け、人間存在の意義を問わせ、
キムチ達の営みへ結び付け、働かせて下さったのですね。

その守られる恩寵のお陰様で、今の自分に気づく。
この守られる恩寵で、私は、私のご先祖様達の嘆き悲しみを癒し、より高い次元へ・・・
その魂達が歩まれるよう呼びかけこれを記す。

その時代は止むをえず、弱肉強食の法則の下、ただ小さい国で力がなかったので、私達の生まれ故郷も、名前も財産も、食べやすく、食われたことだけだったと。
国も、会社も、人間も、小さく弱いと食われ負けてしまう。

その現実をこれ程見事に現すことがあろうか。国も、会社も、人間も、無知故に・・・弱い故に・・・。ここで、知恵ある強さがどんなに必要であるかを思い知らされ、我らに教えているのでございますね。

でも私は、その弱さに打ち勝ち、数えきれない程の妬み、貶し、軽蔑、愚かさに出会ったものであっても、それに挫けず、今や、天与の精神力で勝利の言葉を書かせるのでございますね。我が貴いご先祖様や、先人達の高貴な思想の数々で。今生の善き心持の方々のおかげ様で。

かの、苦難の日々を浄めさせられて・・・。人の平和(安らかにやわらぐこと。穏やかで変わりのないこと)の為の、日韓市民レベル交流を、キムチ達が仲立ちし、語り、人間達の人間性を目覚めさせ、より高次の精神力を育て上げようとなさる業を見ようともせず、キムチは日韓交流でも、文化でも、平和でもなく、ビジネスだと・・・

私と我が社を使い捨てられた時ですら、私の貴い遺伝子達は正義(人間として何が正しいのかの判断基準)を思い起こさせ、それを頼りに、大きいものでも、失うものは失い、小さき道を一歩一歩、歩ませたのでしたね。有難いことに・・・。

だが、私の信念は最初から程遠い処で、一人で歩んでいる事を誰が知るものでしょう。
それは、人類生成以前に存在し、私達を創造し続けていらっしゃる不思議なる精神性に、その根をもち、私の中で働いて下さる事を。

だからこそ、キムチを通し、胸の奥から日韓の平和な交流を・・・。キムチ造りを通し、私達の人間性を育て、高めることを、ビジネスの前置きとして、実践運動を今も一歩もゆるぎなく、誇り高くしていることを。

そして、後付けとして、不思議なる神性な力は、私達とキムチ達を守り、育て上げ、その断ち切られた、苦難の日々すらも薬とし、澄んだ精神力で、永遠の営みの一面を書かせるのでございますね。有難いことに・・・。

あの煩悩の日々に正義(人間として何が正しいかの判断基準)を思い、ゼロから出発した恩恵を、それに見合う命達に出会わせ、生かして下さったのですね。
キムチ達が・・・。有難いことに。

このようなものを通し、私の一瞬の純粋な思いが、永遠性の一面を現させ、溢れる喜びを、キムチ達で気づかされ、これらを書く自由と勇気を得たことを、感謝するのでございます。

無意識にも、目に見えぬ力によって、1990年3月1日会社創立日。
自然とその名も韓国食品になり、志高き日、1919年3月1日、日本よりの自国の独立目指す運動記念日となって、21年目で目覚めさせてくれたのですね。大地の神々(示して申す存在)の印であるキムチ達が。有難いことに・・・。

今迄出来なかった事を含め、キムチ達と私達に係わる、善しも悪しも、全ての存在へ深い感謝を込めて・・・お礼の記念文を心から捧げ残します。未来の子達の為にも。私が先人達の思想で、生かされたように、その子達の人間性への道標として・・・
愛を込めてで・・・ございます。                           (おわり)                                    

 
注:三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)
1919年3月1日、京城(現、ソウル)で起こった朝鮮民族の反日独立運動。
具体的には、フリー百科事典でご参照下さい。       温故知新の為に。