2011.12.2 台北圓山ホテルにて
『 心を高める 経営を伸ばす 』
日本を始め、世界各地の64塾より 282 名・台湾新塾生 143 名 計 425 名参加し学び合う
世界で名高く台湾一の美しいホテル 『14F建 朱柱の圓山ホテル 』 にて、台湾塾生140余名の方々、
一人一人 心を高め、経営を伸ばす決意発表に、参加者も それと重ね合わせ、聞き入り、
決意を新たにする雰囲気に包まれました。
『 人生について思う事 』
稲盛塾長 講話のご指南の印象について
人間は、病院に行って診断を、スポーツジムでトレーニングをし、
健康のため、肉体のために、色々なことをして健康を管理しています。
しかし、心の管理のためには、それらが少ないと思います。
心の管理は大切であるが、多くの人々があまり関心を持たない。
不平不満を持って怒り、愚痴をこぼし、心を煩った状態でイライラしています。
その病症として、心筋梗塞、脳梗塞など・・・そして、その怒り、不平不満な心の状態が
家庭崩壊・ガンなどを引き起こしています。
人間は、肉体が心に影響しているのは多いが、心が肉体に影響しているのは、
あまりにも少ないと思います。
人生と肉体に影響するのは、心に思ったことであり、そのまま反映します・・・。
すなわち、心に思ったことで体が捉われる・・・そのままに。
それらを仏教・禅宗でも、明らかにしています。
心を静かに持つ事! 温和(平和)な心を持つこと!
それを、ジェームズ・アレンさんは、原因と結果の法則で見事に現わしています。
『 原因と結果の法則 』 のしくみ 24P
心の中に蒔かれた(あるいは、そこに落下して根づくことを許された)思いという種のすべてが、
それ自身と同種のものを生み出します。それは遅かれ早かれ、行いとして花開き、やがて環境
という実を結ぶことになります。良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結びます。
外側の世界である環境は、心という内側の世界に合わせて形づくられます。そして、好ましい
環境と好ましからざる環境の双方が、究極的には、そこに住む人間の利益に貢献します。
人間は、自分自身の果実の収穫人として、苦悩と喜びの双方から学ぶことができるからです。
人間は、心の奥底の支配的な思いにつきしたがい、誤った行いをつづけながら、また正しい行いに
努めながら、やがては、それらの果実である自分自身の外部環境に行き着くことになります。
「原因と結果の法則」はあらゆる場所で機能しているのです。
これを、庭造りに例えますと、勝れた庭師は、善い庭造りを正しい思いでし、
正しい思いを育むのであります。そして、美しい庭園を作ることになります。
心の管理・・・心の手入れをして、美しい草花を咲かすのか
心の管理・・・心の手入れをしないで、雑草が生い茂るのか
それは、人間として正しい思い、美しい優しい思いやりの愛の心を持つ事が大切であるのです。
と、アレンさんは言っております。正しい善い思いを巡らすことは、気高い方への上昇、
誤った思いは、下落のところとして、結果に現れます。
単純なことで、善い思いは善い結果を、悪い思いは悪い結果を自ら招いているのです。
人間は、悪い思いの力が、その通りに、その人を育成してしまうことを明確に教わっていませんから・・・。
頭の管理は、一所懸命しているが、心の管理は一所懸命でない。
心を見詰め、自分の心がどのような状態にいるかを管理すること。他人ばかり見るのではなく、
『 他人を通して自分を見ていることを気付き、自分の心を素晴らしいものにする習慣をつけていくこと。 』
それらを訓練すること。
私は一番大切であると信じています。
心を素晴らしいものにするため、心がどのようになっているのかを、知らなくてはなりません。
人々は、色々な思いを持って生きています。
人生というのは、どのような道を辿っていくかではないか・・・と、思っています。
また、辿っていく運命があるのではないかとも思います。
人生は、その運命というものに遭遇しながら生きていく・・・
善い思いは善い結果を、悪い思いは悪い結果を・・・
途中で起きた出来事が、『 どう思うかで決まっていく 』 と、思います。
それを、400年前の明の時代の
『 因果の法則 』 によって 『 運命 』 を変えることができる 陰隲禄(いんしつろく) 立命
で、学ぶことが出来ます。塾長より反復で教えていただく内容を、盛和塾 機関紙 90号 ( 09.2月 )
人は何のために生きるのか ニューヨーク市民フォーラムより抜擢。
人間は、真我と自我・・・真善美と不真・不善・不美として、理解することが出来ます。
仏教では、三千草木に仏が宿ると・・・高次元の心が、全てのものに宿っている意味であります。
その仏の心を、真我と呼びます。
自我とは、欲望 ・ 怒り ・ 妬み ・ 愚痴 という悪気心と呼びます。
人間の心は、この真我と自我が同居しています。
人を助ける善き心・・・
これを、インドの詩人タゴールは、その心をコントロールするしかないと言っています。
タゴールは、神の前に私は立っています。
私は、神のお望み通り、素晴らしく美しい人間になりたいと思い、行動しますが、
無意識に身勝手な荒々しい大きな声 ・ 醜い愚痴や振る舞いが出てしまいます。
私達人生を真っ当するため、神が低次元のものも、生きるため与えているのです・・・と。
その低次元が、身勝手 ・ 欲望 ・ 怒り ・ 妬み ・ 愚痴 などのものであります。
私達は、この自我をコントロールして、それらの主人にならないようにしなくてはなりません。
すなわち、素晴らしい人間性の心が、晴れ渡る、美しい思いやり・優しさ・慈愛を出すよう、
コントロールしなくてはなりません。と、言っています。
☆ このような思想を、ドイツの思想家シュタイナーは
『 バラが美しいが故に その庭園もまた美しい 』
と、表現していて、私は思い起こしました。
人間は、成功に酔いしれ、邪悪に陥りやすい生き物でもありますから・・・
神様が、善き心で気を付け、コントロールし、高次元の精神力で
『 人のため 世のため 自分のため 生きなさい 』
と、タゴールは神と高次元 ( 美しい思いやり・優しさ・慈愛など ) を解釈しているのです。
ここで、自分が成功した折に、善知者 ( 善きことを知っている者 ) である
と、いう思い込みは気を付けることです・・・と。
キリストは、「 左頬を叩かれたら右頬も叩かれなさい 」 と、言っています。
仏佗(ブッタ)は、最低限の自我が必要であり、それらを一割程度に、
高次元の真我が9割になれれば良い と、説いています。
人間は、日々、心が荒れて乱れることですから。
それを浄め、素晴らしく美しい心にコントロールしなさい と、
先人達は申していらっしゃいます。
ここで、自分が自分が・・・と、損得を考えて出る邪悪な心を抑え、
自分の中から、立派な真我が出るようにし、
日々 経営者として善き判断をしていくことを、コントロールしていく必要を
学ぶことができます。
たとえば、日本であった賞味期限の例が示すように、
低次元の自我で判断すると、多くの従業員や社会人を惑わすことになります。
饅頭の味は問題ないのですが、期限切れのものに表示を張り替え発覚した件は、
低次元の判断を、見事に現わしています。
その低次元の判断をする私を抑え、善き私を出すようにコントロールしなければ
ならないことを、この件は教えています。
判断には、その人の人間性が現れています。
それを、西郷 南洲 の教えに学ぶ事が出来ます。
『 人生の王道 』 稲盛 和夫 著
『 遺訓 26条 』 83P
己れを愛するのは善からぬことの第一也。
修業の出来ぬも、事の成らぬも、過ちを改むることの出来ぬも、
功に伐(ほこ)り、驕慢の生ずるも、皆 自ら愛するが為なれば、
決して己れを愛せぬもの也。
『 遺訓 24条 』 85P
天は、天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬する目的とす。
天は、人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。
『 遺訓 22条 』 76P
己れに克つに、事々物々時に臨みて克つ様にては 克ち得られぬなり
兼て気象を以て 克ち居(お)れよと也。
塾長 訳
己れにうち克つに、全ての事を、その時その場の いわゆる場あたりに克とうとするから、
なかなかうまく いかぬのである。
かねて、精神を奮い起こして、自分に克つ修業をしていなくてはいけない。
を、引用し、ご指南下さいました。
会社は、TOPの器で決まります。自分の人間性の器にしかなりません。
その器が大きくならないと、会社が大きくなった時、舵取りが旨くいかず
必ず ☓ になるケースが多いのです。
自分の器を大きくすることが、肝要であります。そのために学びが入るのです。
私は、若いころより、哲学・宗教関係の本を何十冊も枕元に置き、
どんな時でも一行でも読み、理解しようと努め、今の京セラ・KDDI・JAL再生などに
役立ててきました。
その時、大事なのは、高い理想を掲げることであります。
自分の人間性・人格の器を大きくするため、高い理想(理念の想い)が肝要と思いました。
松下幸之助様、本田総一郎様、盛田昭夫様達も、お会いし、その人間性に触れた時、皆様素晴らしく、
温かい多らかな大きな理想がありました。
会社は成功し、30年も経つと、その人格・社格を維持出来ないと ☓ になります。
そこで、『 心を高め、経営を伸ばす 』 高い理想が必要になります。
人間は自分の意志で人格を研いていくのですが、その研鑽と実践を通して積まないと、
ただ知識・見識で終わってしまい、役立ちません。
その時、肝要は胆識になります。
『 実践を通して真我を見通す胆識を引き出す これが勇気であります 』
たとえますと、『 論語 読み 論語知らず 』 と、ありますように。
ただ、知っているだけでは、何の役にも立ちません。
見識だけでも ☓ です。
西郷 南洲
『 遺訓 25条 』 87P
人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして、
これを尽くして人を咎(とが)めず ( 取り立てて問いたださず )
我が誠の足らざるを尋(たず)ぬべし。
塾長 訳
人を相手にしないで、常に天を相手にするよう心がけよ。天を相手にして自分の誠を尽くし、
決して人の非を咎めるようなことをせず、自分の真心の足らないことを反省せよ。
ここで私は、至高の両翁の全人格の形成を理解する機会を得、
この美しく崇高な人格を培っていらした原動力の思想に触れ、
私も長い間、問いてきた 人間理解への深まりに気付きました。
西郷 南洲
『 遺訓 30条 』 134P
「 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人 」 ・・・ 以下省略
人のため 世のため 真我で働き死ぬ・・・
と、西郷 南洲は教えています。
ジェームス・アレンさんが言うように、美しい花を咲かすため自我を死なし、
真我で花を咲かせることが出来ることを確認することができます。
人間は成功すると、傲慢になりがちであります。
毎日、反省と共に謙虚にする必要があります。
ある意味では、自分のものと言えるものは、心以外はないとも言えます。
宇宙の知恵蔵より、仏佗がお示しの知恵を借り、人のため 世のため 役立たせることです。
悪い自分をコントロールし、それは低次元に置いておき、高次元の精神で生きることです。
能力があって、そして、人に協助し調和すると、善き自分になります。
仏学を学ぶ人は、人はどこに行くのかの意義を、心を清めることと認識し、行います。
心が清いと、人生は素晴らしい(気が晴れすがすがしい人間性になること)ものになります。と、あります。
☆ 『 このような状態で生きる 』 『 成仏とは極楽浄土 : 私達の住む場所と人が浄化されていて、
心身が楽々な状態で極に達している ( NHKで放映中の訳 ) 』
と、鳩摩羅什(くまらじゅう)はインドの仏典を漢字で訳し、今に至ることを・・・
私は想い起こしました。あぁ・・・長い間、迷いつつ・・・人生を知りたいと思い巡らし、
この度、この境地に触れ、私の精神も軽やかに飛翔するのを覚えました。
以上が、私へのご指南の印象でした。
その他、聞き漏れ、追いつかずの貴い思想は今後の学ぶテーマでもあります。
この貴重な機会に感謝を込め、私の精神を浄化し高め、全従業員と共に学び合います。
2011.12.20 本社にて 私を含め4名にて朗読、認識し合いました。