2014年5月30日、下記の続き・・・
※ その折(14年春、母の改装式で)元村長、92歳の親戚、閔家の事務局長らで、閔家のルーツについて・・・族譜、論語に記されているBC500年頃の先祖、閔子騫:孔子様の3千弟子の中、10人弟子の一人、孔門の十哲について語り合った。その時、親戚より、貴方は 『 故郷のキムチを食べ育てられた 』 と告げられ、改めてキムチ達への思い入れが、揺さぶられたことを思い出した。2017.6.7~
それが、ヴェルディのナブッコオペラで感動した詩に洩れていたのが・・・
17年6月7日 元時事通信社記者で、元韓国大統領 金大中 日本側代表記者であった友人より手紙が届き・・・その中、ヴェルディオペラ『 ナブッコ 』を鑑賞、あまりにも感動し、ユーチューブで何度も、『 行け、我が心よ、金色の翼にのって 』を聞きながらご自宅に着き・・・
それらを調べる内、30番目かに、下記14年5月30日 キムチ達が語る気持ちと世界で同詩に出会い、
『 矢張り 』 と、思うと同時に懐かしくなりました。と、届けられ・・・
それで再度、古代ヘブライ人達(バビロン捕囚 旧約聖書詩編 137:2)の、失われたあの美しい祖国への思い出と、ヴェルディの音楽の世界にリッカルドムーティ指揮の哲学的思い入れに触れ、新たなる感動に目覚めて・・・瞼が熱くなるのを覚えた・・・。17.6.8
ここで、キムチ造りで苦悩した従事者達への思いが、浮上し・・・
伊豆高原さくら山荘にて 17.6.9 朝
『 行け、我が想いよ、金色の翼にのって 』
行け、我が想いよ、金色の翼にのって、
行って、彼らの働く場に、安らぎを与えよ!
その居場所には、皆の心身を逞しく育て生かした、有難い働く場があり、
安著のエネルギーが溢れているではないか!
語れ 我が想いを! 届けよ 我が意志を!
苦悩なしには得られるものはないを!(釈尊の教えにも煩悩即菩提とあり)
ああ、長い間・・・自分と野菜達・人達・物事達と・・・苦悩した日々、その御蔭で、
今の居場所と人格(役割)を得ていることを軽んじす、重んじよ。そして、持っていることを記憶せよ。
どこに居ようと、行こうと、生の煩わしさ(苦悩)を克服し、得る喜びと有難みを、
働く場で得ていることを日々思い起せよ!
そこにこそ、生の価値があり、自己を育てた仕事に感謝と喜びが、自らを引き揚げ今日があることを、
日々忘れないようにしておくれ!さもないと、あっという間に喜びと感謝が忘れられ、かの苦悩が貴い魂に入り、悩ます故に。
行け、我が想いよ、金色の翼にのって、行って、昨年感謝と有難うのフィロソフィを、
全員で学び合った事を思わせ、永遠に忘れさせないでくれ!
それらを自らの心と魂に捧げ、支え、励まし、誉め、
いかなる事でもブレずに、不動明王(動かざる尊者の意:どんなことがあってもブレないもの)の如くなれよと、伝えておくれ!
それでこそ、単純明快な生き方をキムチ達の御蔭で得、大事にされ、
日々有難うと感謝が溢れる職場への、ご恩に報いるように。
※ 単純明快な生き方:物造りで心身を働かし(運動)、鍛え、給与を頂き、貴い生を営んでいる。そして、心優しく思いやりの人々に協助し合い、度事、有難うで通わす迄になった、多くの従事者に囲まれていることを日々自覚する。それらがない場所で住めるかを自らに問うてみるがよい。それによって、忘れがちな喜びと感謝が湧いてくるであろう。
そこに、到達しようと過程にいる人々は、自らの心身を鍛え、いかなることにもブレないものを掴み、育て上げる。そこに真の生き方があり、そのモデルになる人が我が社には何人もいることを見て学び、我がものにする。それによって自らを励まし誉め、支えることができる故に。
ローマ歌劇場 来日公演鑑賞
NHKホール
14.5.30
ヴェルディ オペラ 『 ナブッコ 』 鑑賞 指揮 リッカルド ムーティ
感動場面 第3幕より 『 行け、わが想いよ、金色の翼にのって 』
ヘブライ人たち
行け、わが想いよ、金の翼にのって、
行って、憩え、あの丘に、山に。
そこには、ぬくく、やわらかく、
故国の甘い風が薫っていよう。
送れ、挨拶を、ヨルダン川の岸辺に、
そして、崩された、シオンの町のあの塔にも。
ああ、わが祖国、失われたあの美しい祖国、
ああ、思い出、懐かしくも不幸な思い出。
運命を告げる予言詩人の金の竪琴よ、
なぜお前は、黙して、柳の木にかかっている。
うちにおさめた記憶を取り出し
過ぎし日を、我らに、語ってくれ。
あるいは、エルサレムの運命にも似せて
悲しい嘆きの声を響かせてくれ。
さもなくば、神から授かって、聞かせてくれ、
苦しみに耐える力となる楽の音を。
上記の歌に感動し、翌朝私も、ペンを走らす 5月31日 朝
『 行け、我が想いよ、金色の翼にのって 』
行け、我が想いよ、金色の翼にのって
行って、平安を故郷の山に漂え。
そこには、私を生み育てた、温く、柔らかい
故国の甘い香風がいよう。
送れ、挨拶を、山前の小川の岸辺に
そして、畑と変わった、生まれた家地にも。
ああ、我が祖国、美しくも離れた祖国
ああ、思い出、懐かしくも、母をなくした(38年前)痛い思い出。
未来の希望に、夢ふくらませた
清純な若き日々、正しさ求めて…。
生涯前進、生涯工夫、生涯建設、生涯努力を誓い
ひたすら歩み、36年の年月を経て。
行け、我が想いよ!金色の翼にのって
行って、我が貴いご先祖様と父母の霊を守り、安らぎを与えよ。
それでこそ精神を求めて
育てたものを報いるが故に。
※ 今年、故郷で母の改葬、先祖の列へ。
父の一周忌も重ね合わせ、思い出し、この詩を捧げん。
キムチを頂き、育てられた故郷へ向け、想いを届ける。
※ 建設:キムチたちの為、幾度の建築を経験し、今も建築を控えている折…。