社長  閔 南淑のブログ ・ 温エネルギー記

2013.07.17

坂東玉三朗 演じるということ 講演を聞いて

6/7 明治大学駿河台キャンパスにて

明治大学リバティアカデミーオープン講座

 
演じるということは、子供の頃から本能的にやって来て、先生達がやって来たものを後から理論付けで理解して来ました。

演じること、他人になるということ、自分がありながら自分でないものになっていく。他人になったつもりになった自分がいて、たとえば暑い、嬉しい、寒い自分がいる。他人になっている自分がいる。…自分を確認する作業がある。

人の前で演じ、自分がやっているものを見ながら、自分と対話している。やっている人は自分がやりながら確認する。演じることを通じて…さびしがりや、はずかしかったことも忘れるのです。

演じて、一人になると、演じる役者になって良かった、喜びの満足があります。ですが、翌朝になるとまた 『 不安 』 になるのです。この 『 不安になる 』 ため、また稽古をして自分を確認する。『 確認して自分に戻っていく 』 それは、例えば、派手なものを着て遠くに行って、夜、家に戻り服を脱ぎ、自分に戻って、自分は何なのか?思うんじゃないですか?と、同じようなもののような…。

演じるということは、きっと 『 愛楽の再生 』 と思います。俳優の仕事は嘘に見えない。何かが信号を記憶に送ると、悲しい、嬉しくないのに嬉しく…嬉しいと…。記憶しておくこと、必要なとき取り出すため、稽古と確認が必要なんです。

それも、正確に取り出し感情にはめられるかどうか…。それは、スポンジのように柔らかく戻りが早い、感情と表情が同じ状態で自然になっている。

例えば、室町時代の女性を演じる時、稽古で悲しみの形を出し演じる?…『 取り乱す 』 取り乱していながら美しさを出す。…すなわち、どんな感情を出しても美しい。何をしても美しい。怒り、妬みとかの折でも、醜いものを出してもちゃんと 『 コントロール 』 していることなんです。

それは、『 離見 』 どの辺から見るかなんです。…自意識だけではコントロールされない。外側から冷静に客観的怒りかられている。…男性から見て可哀そう、優しくしてあげようと思わせる。怒っても美しい!演技は、自分を本気で見つめないと人間としてなりたたないんです。

そのイメージは、酔っ払っていて心地良い 『 御尤も 』 すなわち、演じることで自分の気持ちが浄化されていく。『 ごもっともだ 』 すっきりしていく。そんな究極な意味で、さくら姫を演じる時、自分の恋人が敵だと知って彼を殺す。この場合は人を殺して自分ですっきりし、浄化されているのです。

演じると浄化される。翌朝また不安になる。 『 悲しくて可哀そう 』 に確認出来ないとやめたかも?悲しみも浄化される。アリストテレスも古代ギリシア悲劇評で浄化されていくとあるんです。そんな意味で、ギリシア悲劇は、レベルが高く今だに影響しています。

浄化の意味では、作家の方が浄化されている人が書いたものは、こちらも浄化するが、浄化されていない人のものは、浄化されないんです。目標がしっかりしていて純度が高くなると浄化される。この浄化は、生ある人、私達一人一人に言えるもので課題であると思えてなりませんでした。

さまざまなものを出せず、しまい込んでいる人の為に演技がある。自分では出さない人が演技を見て、自分の中の同じものを重ね出す、癒すことの意味で古来から演じる、見るがあると思います。超克の境地の到達を示していらっしゃいました。

客の目と感覚は確かです。そうでないと人がよらなくなります。年齢のせいか最近は、客席をみてもこだわらなくなりました。観客の空気を読んでも、人を見ても気にしない。年のせいだと思います。

意識の線が一番大事です。見えているものの他の世界、それがなかったら多勢の人の前で話しが出来ない。それは混合の光が十分になった時、空間を支配でき、感情の線が遥か遠いところから来る。

全てに解き放されて、煩悩から放されたところからくる。それは悟ったものと悟らないものが一緒に来る意識。自分はそこの演技をするところの意識しかないんです。それがないと、やらないのがいいんです。すなわち、演技の真理に集中と解放の反復をなさる人生であると話されました。

意識の線を張っておく。意識が入ってくる。悟っているものとないものが。それは、意識があってふりかえる。感情と形が一緒になるのは難しいんです。ここで自分の工夫がいるんです。何かに捉われても一緒にする自分がいるんです。

それは、祖父の教えのおかげです。祖父は一番ひどいものを見にいって、ひどいところをちゃんと見つけてこなければならないと指導されました。欠点を見つけるかどうかができると思っていいと。上手いと思っちゃいけない。凄い教えだと思いました。

柔道の野村さんは、オリンピックに出る前は、負けることしか思い浮かばないと、それが、舞台に立つと自分しか金メダル取れないと思うと、そうでないと稽古は出来ないと言っていました。

幕が上がったらしなくてはならない。と、腹を決める。体の各部位がしてくれないといけない。そのため稽古がいるんです。胸が窪んでいて、首が前に出ている人は、感情が伝わらない。姿勢は大事です。胸が開いていて、首は前に出ず、真っ直ぐになている状態が良い姿勢です。姿勢を正すのが人間の基本です。正しい姿勢はエネルギーが正しく流れ、遠くで見ても綺麗で気持ち良いものです。

そういうものは、人から実際に習うことが大切。一対一で。そして凄い人に合うことです。それは、シャワーを浴びるようなものです。実物に合わないと感情が分からなく、自分だけでは豊かにはなれないんです。私も多くの人に会って学び、教わり気付き、育んで来て、今日があると思いますと、締めくくられました。

講演を聞いた後、ある雑誌の坂東玉三朗氏のインタビューで生きる事は? 『 どう死ぬかは、どう生きるかです。 』 最終目的はと聞かれ 『 無事に死ぬことです。 』 そして、明日のことが想像でき、わかるようにすることです。 『 芸術を解する純粋な感情 』 で 『 内在する遺伝子が導いた美しき表現 』 他人になったのを見せるような自分作りですと。…あぁ、素晴らしいと息を飲む程でした。

私は、この方の人生に内在する遺伝芸術の真髄に触れ、浄化されつつ整理される3度目の講演会に喜悦を覚えました。
我が社は、手造り故に、全身を使い働く…あらゆる場面を正確に対応する能力を要する、人間開発創意工夫を根幹とする生命線を、この方の稽古と重ね合わせ大きな励みと勇気を得る講演会となり、これを皆で朗読し学び合いました。