2013.5.23 よこすか芸術劇場
講演者 小泉純一郎 元総理大臣のお話を聞いて学ぶ
演 題 人生は思うようにいかない?
私の経験を含めて、人生は思うようにいかない?標題は?…人間は考えがすぐ変わる。私は若い時より考えが変わって来たのがわかります。実は、経験を通して考えが変って来たことを喜んで来ました。歴史上も、考えが変わって来たことがよくありました。
私は若い頃、引っ込み思案で演説が苦手な人で政治家にはならないと思う子供でした。
国会議員の父は雄弁家で、演説は目立ち、私はどこに行っても父の事で目立って、私の方は引っ込み思案の子供でした。
大学に入り、父の選挙を手伝って、だんだんと政治の勉強をしなければならなくなりました。人の前で話すことができず、恥ずかしい、でも父の為に社会問題、政治問題を手伝っている内に、何か出来ることがあるのかも知れないと思いました。又、やっている内に、あいさつも出来るんだと思うように考えが変わって行きました。
そして、27歳で立候補し、当時、一番若い挑戦者として3人同じ年がいました。その中、小沢一朗さんもいましたが、中で私だけが落選し、2人は当選。人生は思うようにならないのを痛感しました。と、いうのも、私は父が亡くなり、父のための立候補で周りから押されての…若いころ政治家にはなりたくなかったが、父の弔い合戦の有利の選挙でも、私だけが落ちたのです。
自分が落ちたのを見ると、本当に出来が悪い息子だったと思いました。そして当時、福田武夫総理大臣の自宅で、お客様の引き合わせの靴並べをしたり、電話を繋いだり、下働きをしながら勉強し直したんです。私は、落選も縁があって、自民党総裁選も2回落選。自民党は2回落選すると、もう相手にされないんですが、また、是非出てくれと、3度目も皆から押され、もう出ないと決めたのが、逃げるな!という雰囲気に変っていき、3度目で当選しました。
今までの落選が総裁、総理になる準備だったのを、後で分かりました。すなわち、日本の国がどうあるべきかを落選、惜しい思いを通じ、考えたんです。
政治家も考えが変るんです。郵政民営化の折、衆議院で否決だったのが、民意を得、参議院で可決したんです。このようなケースは今まで無かったですが、すなわち、大人でも参議員でも考えが変るんです。
又、結婚する時は、神・仏様にずっと幸せに一緒にやっていきますと誓うのに、4年目で離婚しちゃったんです。子供もいるのに。当時は離婚率は、ほんのわずかで、選挙でも大きく非難されました。家庭も治められない人が政治が治められるか、離婚で非難中傷が多かったが、支援者達が応援して下さったおかげで当選したんです。この時、本当に胸が熱くなったんです。落選すると思ったのに当選したのですから…人生は思うようにはいかないのを悟らされたのです。
この思うようにいかないのが人生か? について歴代の人物から、高杉晋作( 1839-1867 )幕末志士で、山口県長州藩士 英雄の一人、29歳で死す…この方を応援した財産家で事業家の白石さん、明治維新が終わると、会社が倒産してしまう。問われる白石さんに、無念だったんじゃないかと思いますが…それを人に聞かれ、あのような天才で幕末の英雄に出会ったのは、我が人生では最愛だったと言っています。
権力者でも、思うようにいかないのが人生…平家を倒し、源頼朝( 1147-1199 )武家政治の創始者、鎌倉幕府初代将軍を立てた北条政子の波乱万丈の権力絡み1、2、3代将軍の人生を通して…人生が思うようにいかない。を、いろんな例で説明なさいました。特に3代将軍になった次男 源実朝を鶴岡八幡宮の境内で兄頼家の子公暁に殺され。また孫も他殺。…鎌倉時代の権力闘争は特に凄まじい。
豊臣秀吉も、政権の為、妹の徳川秀忠の長女、千姫を秀頼の嫁にもらったのに、その妹のところの徳川に滅びる…ここでも人生は思うようにいかないのがわかりますよね。
昭和20年の敗戦。昭和16年シンク・タンク アメリカと戦うと負けると報告があるのにもかかわらず、真珠湾( ハワイ州のオアフ島南岸にある小島 )アメリカ海軍の基地で1941年12月7日( 日本8日 )に、日本軍の攻撃を受け、太平洋戦争が始まり、300万人の命が落とされた。
…日本人は、不屈の精神力で国を造って来ました。3.11東北震災で2万人以上の犠牲者を、1923年関東大震災( M7.9 )では10万人の犠牲者を出しました。又、1973年 オイルショックなども…全部、最悪の状況から脱皮し、最善の国造りを不屈の精神で成し遂げて来て、日本は世界第2,3の経済大国、綺麗な国造りをして来まして、日本人は世界一綺麗好きな人となったのです。
この綺麗好きは、あらゆるものに反映し、綺麗な物造り、町造り、国造り、食べ物造り…で、今や世界に反映させ影響しているのです。又、世界から大したものだと言われているのです。
あの震災の混乱の折も、他国なら奪い合いですが、日本では冷静に並んでいる…世界はそのことに驚きを禁じ得ないんです。礼節があって、秩序がある、世界でも稀な民族として、日本の寿司が物語る生で美味しく頂けるのは本当にすごい事なんですね。
ここで重要なのは、先入観はもってはいけないんです。
日本国は長い間、目標を立てて実現してきた能力があるんです。
例えば、
1)日本国安保条約は、戦争をしないとあるんです。その通り、戦後ニ度と戦争をしていない国の中に日本が入っているんです。
2)長寿社会を作る目標を立て、どうしたらいいか考え、食べ物を全国に行き渡らせ、病院も全国へ普及、水をきれいにしなくてはならない…今や綺麗になってきたのです。そして、水道水が飲めるんです。と、水道水を飲まれ、皆を笑わせたのでした。水道水が飲めて1ℓ、ほんのわずかなお金なのに、1ℓボトル 100~150円で買って飲む時代になりました。
私が厚生大臣の27年前、100歳以上が2000人でしたが、2012年は5万人。
昨日5月22日は、80歳で三浦雄一郎さん 8848m エベレスト登頂成功のニュースは、まさしく国が掲げた長寿目標を達成した証ではないでしょうか。
しかし、長寿が良いとも限らず、今度は当初の問題が今や課題となって、ここでも人生は思うようにいかない?…。
私も変人と言われて来ました。人生は努力がかかせないと結論づけることが出来ます。しかし、努力しても中々ならないことがあるのはしょうがないんですが。
野球でも、ベンチに座るだけでも大変なことなんですね。10回で3回打つと大変なことです。ゴルフも同じで、これはイギリスの貴族が考えたんですが、思うようになると面白くない、思うようにならないものをつくったのがゴルフというスポーツなんです。
物事は、悲観してはならない。ちょっとしたことからも、面白いことを見つける事が大事なんです。楽しみは、昨日咲かない花が朝咲くようなものです。日本人は楽しむような歌をたくさん作って来ました。いくつか紹介されつつ…比喩して下さいました。
『 何にもない所から、楽しみを作って楽しみ、人生を豊かにしていくもの 』 ではないかと思うのです。…人から楽しみは得られない、自分で見つけることしかないんです。三浦雄一郎さん、超人を通して、時間、心、体をどう使うかによって、楽しみ方が分かってきますね。
私の父は、65歳で亡くなりましたが、私は喜寿を過ぎました。
尾崎行雄 『 憲政の神様 』 と称される東京市長、内閣の法相を勤め、12回連続当選した、94歳まで生きたこの方は、憲政記念館に銅像がありますが、そこに 『 人生の舞台は常に将来にあり 』 と刻まれているんです。
…人生は常に勉強し、準備をしなくてはならないことを示されているのです。それも 『 希望 』 を抱いておかないとならない。長生きしようと思ったら、なっちゃったんです。
110歳になった方のインタビューで秘訣は毎夜、晩酌はかかせないんですと言っていました。女性も年上がいいと…。私も70代になっても講演をすると思いませんでしたが、こうやって皆さんの前で講演しているのですね…。と締めくくりました。
7/8(月) これを皆で朗読し合い、社員達より大変喜んでもらい嬉しくなりました。